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桜まつりの歴史

昔から開かれていた桜のお祭り

毎年お花見の時期には多くの方にお越しいただくようになった権現堂桜堤ですが、昔の人も桜の下でお祭りを楽しんでいました。人出が増える事に賑やかになる桜まつりの歴史をご紹介致します。

昔の桜まつりの様子

大正14年4月 大正5年から植えられた桜は見事に育ち、シーズンには多数の人手がありにぎやかな花と紹介される。
昭和4年4月12日 東京日日新聞 幸手権現堂(行幸)堤の桜まつりを紹介。 東武線幸手駅開設 “そこぬけ屋台”を引き回し、桜堤にくり出す。
昭和7年4月 東武線浅草駅から幸手駅まで、臨時電車が出る。
露天商も軒を連ね小屋掛けをし芝居などの興行も行われ、幸手の町中には検番があり芸者を呼ぶ人たちもいた。
昭和8年4月 幸手青年団 権現堂(行幸)堤 観桜事業を行う。
救護、交通整理、筵(むしろ)整理、観桜客の便宜、湯水の接待等 (手当て・日当四十銭、幸手町補助金・百円、商工会補助金・拾円、茶菓子代・一日五銭) (打ち上げ・自転車旅行 筑波山 雨引観音 笠間稲荷神社)
昭和10年12月 栗橋より西関宿にいたる桜堤 東京市 緑地区域に予定される。 幸手町青年団 花見の際交通整理・清掃などを行う。
昭和18年4月 戦争中でも当地では花見は実施していた。
昭和20年 戦後米軍の幸手進駐にて桜を伐採する。 (燃料として、全戸に配給)
昭和24年 桜が戦後伐採されたため、栗田亀造氏、公民館職員により桜の植栽を始める。
(3,000本の苗木を国道4号線から県道にかけ約1kmの堤に植えられる。その苗木の3分の1約1,000本のソメイヨシノが現在残っている。)
昭和26年 幸手町保勝会によって各種行事を計画、実施した。ハイキングコースの設定・桜堤開き・演芸会・演奏会・舞踏大会など。
昭和28年 埼玉新聞で行った「県下“観光50選”」に推薦され、30選に入選した。これを機会に保勝会が桜60本を増殖。
昭和29年 埼玉新聞主催「県下桜コンクール」第4位、東関脇に。
昭和30年 この年、雪洞(ぼんぼり)に電灯を点けたため夜桜の鑑賞も。また、観光協会が設立された。会長 殿塚町長、副会長 中村昌功会長
昭和32年 全日本写真連盟・朝日新聞浦和支局共催の写真撮影会を実施。
昭和34年 郷土芸能の公開も行われる。川崎の囃子と面神楽・千塚の手踊り・一ッ谷の飴屋踊り・関宿囃子など。
昭和58年 行幸堤・権現堂堤が幸手町指定文化財(名勝)となる。
昭和59年 観光協会によって「さくら娘コンテスト」が行われる。
昭和62年 北公民館オープン。「さくら娘コンテスト」は「ミスさくらコンテスト」に。
昭和63年 周辺農地に菜の花を作付け。19,000平方メートル(約19反)

幸手市観光協会

〒340-0192 埼玉県幸手市東4-6-8
(幸手市役所 商工観光課)

お問い合わせ:0480-43-1111


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